3/26 立川志らく『雨ン中の、らくだ』出版記念落語会
毎度毎度、落語初心者の落語評、いや落語評とはおこがましい。
ただの感想文。小学生の夏休みの宿題よりたちが悪い感想文です。落語は指定図書ではないですし・・・
立川志らくさんが書いた本「雨ン中の、らくだ」。(これは指定図書か?)
本の帯にあるとおり「志らくにより談志」、「落語をめぐる、壮絶なる師弟の物語。」とあります。
内容は立川談志を一番近くで見てきた志らくさんが、談志落語、中でも談志の言う「イリュージョン」と「帰属論」についてを非常にわかりやすい言葉とエピソードで、それこそ評論ではなく志らくさんの言葉で感想を述べていらっしゃいます。
昨日の落語会は志らくさんの第二の師匠・高田文夫さんを交えてのトーク、志らくさんの落語・「たちきり」、最後に家元・談志さんと高田さん、志らくさんの三人でのトークでした。
志らくさんの「たちきり」。
高座の後のトークでは何となく不本意だというようなことを志らくさん自身がおっしゃられていましたが、それを聞き手の僕、客がどうこう言うことはありません。
あくまで『3/26に新宿で語られた立川志らくの「たちきり」』で、その出来が良かろうが悪かろうが只単に『3/26に新宿で語られた立川志らくの「たちきり」』のそれ以上でもそれ以下でもないのです。
人間が生きるということはそういうことなのだと感じました。
今日僕は休みで朝から自分のブログに昨日の落語会の感想を書いています。
で、これからうんこして顔を洗って買い物に出かけ行く予定。
たぶん昼は新宿あたりでランチをしジュンク堂で立ち読みをする(だろう)。
それから家に帰って昼寝をし、会社に提出しないといけない資料作りをして明日幕張で見るOASISの予習をする。・・・・・・で夜になって寝る。
で、明日になると3/27の僕は過去のものになり同時に3/28の僕が動き出している。
3/27の僕はこのブログがサーバーに残っていることと、買い物をしたときにもらったレシートに日付と買ったものが記録として残り、記憶がある一定の期間残るだけになる。
そんな日常の繰り返しの中で『3/26に新宿で語られた立川しらくの「たちきり」』がこのブログのサーバーと僕の記憶に残ることがすごく嬉しい。
同じく家元・談志さんが昨日おっしゃってたこと、高田文夫さんが志らくさんの話を楽しそうに聞く姿を見られたのが嬉しい。
志らくさんの落語を取り巻くいろんなもの、志らくさんの不本意、談志さんのおほめの言葉、高田さんの温かいまなざし、本の中に書かれている修業時代の出来事・・・
それら全ての上に築きあげられた『3/26に新宿で語られた立川しらくの「たちきり」』は僕にとってはそれ以上でもそれ以下でもなく、とてつもなく素晴らしいものでした。
いつも落語を届けてくれてありがとうございます。