らくだ
落語に「らくだ」という噺がある。
9月は「らくだ月間」かというぐらい落語会で「らくだ」に出会った。
9/10の志らくさんの「らくだ」、9/12の志らくさんの「らくだ」、昨日の立川談慶さんの会は談慶さんの「らくだ」、今日は映画「小三治」を観て、その中で出て来た小三治さんの「らくだ」。
「らくだ」。
噺のあらすじは、長屋に「らくだ」とあだ名される男がいる。
その男が河豚にあたって亡くなった。そこに「らくだ」の兄貴分の男・丁目の半次という男がやってくる。
丁目の半次は弔いの真似事をすると言って通りがかったくず屋を強請り、長屋の住人達を脅し弔いの準備を整えた。
ご苦労だったと強請ったくず屋に酒を飲ませたらさあ大変。酒にだらしないくず屋は酔っぱらい徐々に本性を表す。本音を吐露する・・・
今月たくさん聴いた「らくだ」。
「らくだ」の悪行が心に残る、丁目の半次の怖さだけが目立つ、くず屋の悲哀が泣ける、くず屋の豹変に驚く、長屋の住人の振り回される様が楽しくもあり悲しくもあり・・・まさに三者三様、いや四席四様、聴いてて飽きない。いつも新鮮。
これは「らくだ」に限ったことではなく落語の全ての噺が演者によって、時と場合によって、会場の雰囲気によって、それこそ僕の体調・心持ちによって心への「ひっかかり処」が変わってくる。
これこそまさに「古典芸能」の楽しみなんでしょう。
あまり詳しくないですが、ベートーベンをカラヤンが指揮する、ウィーンが演奏する、ボストンが演奏する。それが全部違うのが「古典」の楽しみなんでしょう。
今日観た映画「小三治」で、柳家小三治さんが「(弟子が)師匠と同じことをすることを恥ずかしく思え」と言ってた意味が、色んな意味でわかったような気になりました。
だから落語はやめられない。
9/22(火) 談慶支援の会 at 東京芸術劇場
三四楼 浮世床
談慶 天災
志らく 火焔太鼓
談慶 らくだ
9/23(水) 新文芸坐 落語二夜(第一夜)
映画「小三治」と柳家三三 映画を語る、師匠を語る、落語を演る
三三 万金丹