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金曜日, 7月 18, 2008

ヒデ〜オ、ヒデェェオ


阪神タイガース21年ぶりの優勝で沸いた1985年。
当時小学校3年生だった僕は大のタイガースファンの母親と、月に一度は甲子園に足を運び「強いタイガース」に熱い声援を送っていた。
「強いタイガース」も86年以降は尻すぼみになり、バースも掛布も88年には現役を退いた。
僕も小学校4年生になってサッカー部に入り、1986年のメキシコワールドカップに彗星の如く現れたマラドーナに夢中になった。
サッカーに没頭すること、自分が段々と大人になっていくこと、「強いタイガース」が「ダメ虎」に成り下がっていくこと・・・
そんな混沌とした僕の青春時代に一つの大きな衝撃を与えたのが野茂英雄だった。
1989年、僕が中学校1年生の時に地元近鉄バファローズにドラフト1位で入団。中2の春の野茂プロ初登板を見たその瞬間から僕は「トルネード」の虜になった。
「サッカー部はきついから」という安直な理由で柔道部に入部していた僕は、毎晩のように家の向かいの駐車場で背負い投げの練習よりも「トルネード」を練習した。「トルネード背負い投げ」でも練習しとけば柔道部で結果を出せたのだろうか・・・
口数の少なさ、ポーカーフェイス、直球勝負、フォークの落差、清原がライバル視する、仰木監督の申し子、とにかく野茂英雄はかっこ良かった。

1995年。日本は阪神大震災、オウム事件などで陰鬱だった。僕も浪人一年目で陰鬱だった。
そんな時、野茂英雄はメジャーのマウンドに立った。
またまたかっこ良かった。陰鬱な状況を野茂英雄が一掃してくれた。
「トルネード」がアメリカを席巻した。アメリカ人が野茂英雄にひれ伏した。そして賞賛した。
でも一番かっこ良かったのはとあるスポーツニュースでの一コマだった。
取材したスポーツキャスターは野茂英雄に日本のプロ野球は組織的で、練習がキツくて、個性をつぶすような体制、それに比べてアメリカの野球は選手の自主性に全てを任せて自由で素晴らしいですねという言い方をした。
その時野茂英雄はこう言った。

「アメリカの野球にも日本の野球にもいいとこもあるし悪いとこもあります。だから両方を勉強できてよかったと思います。」

僕にはこれこそ世界を渡り歩き、世界と勝負する男の最高で最強の生き方だと思う。
人と接する時もそうだと思う。その人のいいとこも悪いとこも両方見て、そこから自分にとって有益なものを学ぶ。たくさんの本を読んで勉強する。その中からいいところをピックアップして実践する。多くの人達たちの仕事ぶりを見る。その中から共感できないことは絶対にやらない。

こういう素晴らしいことを野茂英雄という一人の人から学んだ。
悔いはあるそうですがひとまずお疲れ様でした。
ありがとうございました。

1 件のコメント:

Anonymous 匿名 さんは書きました...

 いや~残念ですよね、
自分も本当に野茂好きでした。

当時、好きすぎて、消しゴムの
『MONO』のロゴを修正液で一部消して、
マジックで『NOMO』に書き換えたことを
思い出しました。

3:00 午前  

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