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土曜日, 5月 30, 2009

落語ソムリエ


家元立川談志が昭和40年に著書「現代落語論」にて「このままでは落語は能と同じ道を歩むであろう」と予言した。
このとき家元は若干29歳。
どういうことかというと簡単に言えば落語がただの伝統芸能、博物館でしか見られないような芸能に成り下がってしまうと予言した。

これ以降家元立川談志は「伝統を現代に」をスローガンに落語と格闘してきた。
それを現代の噺家さん達、特に立川流の噺家さん達がその意思を継承し落語と格闘している。

平たく言うとクラシックというものは既に型として完成し成熟している。
例えばベートーベンの何々はもはや完成されており、それをウィーンの交響楽団がやるのかどこぞの交響楽団がやるのか、はたまたカラヤンが指揮を執るのかどこぞの某が指揮を執るのかで全く違ったものに仕上がる。それこそがクラシック、古典芸能の奥深さである。
ファッションにしても例えばバレエなどにしても成熟したクラシックをいかに現代に落とし込んでアレンジするかがまさに「伝統を現代に」ではないのでしょうか?アレンジというよりも再構築するといった方がしっくりくるかもです・・・

僕の好きな噺家さん・立川志らくは著書「全身落語家読本」にてこの「伝統を現代に」の重要性、必要性を改めて説かれています。

つまるところ僕は何を言いたいかというと、僕も「伝統を現代に」伝えていかないといけないと感じました。勝手に。
いくら「伝統を現代に」と言っても実際落語を見に行くと若い人達はごく少数です。
このままでは僕らの世代で滅びる危険性があります・・・

皆さんが思っている以上に噺家さんは凄いんです。
笑点で「何何とかけて何何ととく、そのこころは」、「いよっ!うまい!」とかといったレベルじゃないんです。
全身全霊をかけて落語と取り組んでいるんです。

僕はどうしてもそれを多くの人に伝えたい。

まだまだ僕の落語の知識なんかしょぼいもんです。そんなことは重々承知です。
当然自分の技量として噺家になるのは難しいし、評論家として「誰それのこの噺はいいけど誰それのこの噺はダメ」のような批判精神で落語に携わりたくない。改めて言う必要はありませんが評論家なんか噺家に比べるとしょうもないもんです。じゃ、あなたは落語を一席まともにできるんですか?と言ってやりたい。

ということで僕はこの度「落語ソムリエ」になることを決心します。
これは僕の尊敬する知り合いと落語について語った結果行き着いた結論です。

何も今すぐ「落語ソムリエ」を名乗ろうとは思ってません。これから僕も鍛錬し行く行くその称号を得ようと思ってます。

「落語ソムリエ」の仕事は至ってシンプル。落語の良さ、面白さを周りの人に伝えること、ただそれだけです。

駄文になりましたがここ最近このブログで書いてきたことの一つの結論が出ました。

「落語ソムリエ」。
どっかのテレビで見たお酢のアドバイザー・通称「酢ムリエ」よりは良い仕事しますよ。

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