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月曜日, 11月 24, 2008

慈善、善意、偽善


偽善も善意ではないのか?

例えば、「不都合な真実」で環境問題の現状を指摘したゴア元副大統領が「大きな家に住んでいてそこでは一般家庭の約20倍の電力を消費している」と批判されても、結果的には彼が環境問題に取り組んでいて、その貢献度を考えるとプラスマイナス0でやはりゴア元副大統領の取り組みは評価されるべきだと思う。

昨日、島田紳助さんが司会をしている「行列のできる法律相談所」という番組で芸能人・著名人達が絵を描きそれをオークションしてその収益金でカンボジアに学校を建てるという企画を放送していたが、その中で一枚の絵を300万円で落札した人が「自分の誕生日プレゼントとして好きなものを落札し、それが誰かの役に立っていると考えるとこれ程嬉しいことはない」と言っていたがこれを一個人の自分への誕生日プレゼントというある意味個人のエゴの塊と考えるのか、もしくは本人が言うように「誰かの役に立っている」という部分を評価するのかということを考えると僕は断然「誰かの役に立っている」という部分を評価したい。

そう考えるとビル・ゲイツがあと人生を10回やり直せるぐらい儲けてて、その一部分を寄付したり財団を作ってチャリティしたりすることを好感度を上げるための作戦だとかいう人達もいるが金額の大小に関わらずこのような慈善活動を実践することは何を言われようが素晴らしく高貴な行動だと思える。

やっぱり人生も仕事も少なからず誰かの役に立ってないと何の意味もないのかも知れない。場合によっては偽善という名の善意もあるのではないのだろうか?

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