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火曜日, 2月 16, 2010

2月16日 特にテーマはない

龍馬伝の第7話を観る。
僕らが抱く龍馬像は司馬遼太郎が描いた龍馬像であるとか、龍馬よりも歴史的に大きな事を成した人はたくさんいたとか、龍馬の家は裕福だったから好きなことをできたとか、色々ありますが、たとえ龍馬という人物が空想上の人物であっても龍馬は凄く魅力的な人物であると思う。
「好奇心」と「楽観」と「平和主義」と「活発」。
日常生活の中で気付いたら忘れていたり面倒臭がってたりすることを龍馬がやってのける。

サラリーマンのおっさんの鼻が水道の蛇口になってて、蛇口から水がちょろちょろ流れているところを薬を飲んだら鼻炎が治まって蛇口が閉まってちょろちょろ流れてた水が止まるという鼻炎の薬のCMがあるが、鼻水は止まったが逆に鼻がつまったという印象を受ける。

朝青龍のこととか国母選手のことを僕が擁護しても批判しても、いずれにしてもたいした意味はないが、国母選手はただ単にあのファッションが彼にとっては一番カッコいいと思ってたのであって、それがあの場に合わなかったとか、あの制服が税金によって支給されたとか、そこまで頭が回らんかっただけだと思う。
若いときのファッションは、少なからず「はずす」ことにカッコよさを見いだしてしまうことが多い。例えばジャケット&パンツにスニーカーとか、古着のミックススタイルとか、変形の学生服とか、それこそ中学でタバコを吸うなんてこともひとつの「はずす」ファッション(中学生はこうあるべきだという「形式」、「常識」からはずす)の一つのパターンだと思う。
歳を取ると、例えばフォーマルスーツのカッコよさとか、ブリティッシュジェントルマンの着こなしとかのカッコよさ、つまり「形式美」の素晴らしさに気付く。国母選手はまだそれに気付いていないだけだと思う。ただ、彼自身がこの騒動で試合以外のことでプレッシャーがかかったとしたら自分の首を絞めることになるなぁと一視聴者の僕は傍観しております。どっちつかずの逃げの論調ですいません。
もう一つのこの期間の収穫は、ドルゴルスレン・ダグワドルジという朝青龍の本名を言うことができるようになったことです。

「お熱いのがお好き」を観ました。マリリン・モンローの「ププッピブー」のやつです。
遅ればせながら初めて観ましたが凄くいい、凄く楽しい映画でした。すごく好きな映画になりました。

夜は柳亭市馬さんの落語会に行って来ます。

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